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悠々徒然

 徒然なるままに、気まぐれに、パソコンに向かひて、心にうつりゆく由無し事を、
そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ興に入りけれ・・・!?
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[美術]アナログとデジタル
前回、イラストのアナログやらデジタルやらの話がでてきたんですが、それで思い出したのが、先日の、とある地元の出版社の方との話。


「デジタル制作の絵を、絵画作品として“売る”っていうのは難しいですね」


そんな話をしたんです。
つまり、原画ならではの魅力とか、原画を所有するという概念があるのは、アナログだからこそだ、という……そういう話になったんですよ。

イラストにしろ絵画にしろ、その絵の売買が成立したり、そうでなくても例えば「原画展」というものがあったりするように、原画が印刷・複製画とは別格の扱いを受けるというのは、それだけ原画という存在が特別なものだということなんだと、普段はまるで空気のようにほとんど意識していなかったことでしたが、改めて気付いたんです。

原画が“物”として存在するアナログに対して、デジタルは単なるデータ。

アナログの場合は、クオリティを保ったままの複製など、版画作品でもない限りはまず有り得ません。
それに対して、デジタルで制作する作品は、全く同じクオリティでいくつでも作品を生み出すことが可能なので、その複製されたデータや印刷物を得るという意味での“買う”ということはあっても、オリジナルデータ(原画)を唯一無二の状態のままで鑑賞したり取引したりするなんてことは、なかなか無いですよね。
ましてや、アナログの場合にあるような、作者が実際にこの作品に触れたという感慨とか、作者の筆遣いとか……作品を鑑賞しているうちに、まるで作者が重なって見えてくるような感覚的な実感なんてものは、デジタルではなかなか伴わないものです。

デジタルの絵を例えるならば、先程チラッと出てきましたが、「版画」ではないでしょうか。
しかも、複数の同じ作品を生み出すための元々の“版”が劣化せず、さらにその“版”自体の複製までもが可能。そのうえ、刷色の再現も容易なばかりか、刷り上がった作品をまた“版”として利用することもできる場合がある版画……それがデジタル制作の絵なのかもしれません。


じゃぁ、デジタル制作の絵に特別な価値を付けようと思ったら、どうすれば良いのか?

浮世絵などの版画に価値があるのは、刷り上った作品の現存数が少ない上に、その再現のための版木も現存していなかったり、残っていたとしても、昔のままの状態では残っていなかったりする……また、使用されている色の再現も困難であることなどによるものです。

結局は、デジタルのデータをもとにして、商業版画などのように、多額の費用をかけてクオリティの高い印刷を、数を限定して制作するようなことでもしないかぎり……まぁつまりは、容易には入手も再現もできない“アナログ化”という作業を経ないと、そこまでの価値を持つことは無いんじゃないかと思うわけですよ。
それでもなお、先に挙げたような、作品に作者が重なるような感覚というのは、なかなか得られないとも思います。


商業目的で使用する“素材”としては、デジタルのほうが再現力の観点からはるかに都合が良く、そういう意味での利用価値はたしかにありますが、それは同時に、作品自体の根本的な価値を弱めることにもなっているのかなぁと、ふと思ったのでした。
まぁそうは言っても、版画の版木にも価値があるように、作品を生み出すための素材としての元データ……例えば、レイヤーが統合される前の制作段階のデータなんかになると、多少の価値が出てきたりもするのかもしれませんね。


デジタル制作の絵は、どれだけ頑張って制作しても、“素材”の域を超えることはできないのかなぁと、そんなことを思うと、チョット寂しいような気もしちゃいますね(^-^;;
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